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1月19日 イベントレポート[藤岡亜弥×加治屋健司 (美術史家、東京大学大学院教授)]

藤岡亜弥さんとゲストに加治屋健司さんをお迎えして「広島と写真をめぐって」のトークを開催しました。

加治屋さんが進行役となり、藤岡さんの「広島」を撮ることについて、お話をいただきました。

(内容の抜粋です)

ニューヨークの海外生活の後―
東京に戻ってきましたが、自分の体がどこにあるか分からず、自分の体にあった町の広島に戻り住むようになりました。
広島に戻ってきて、広島を撮ろうとは思っていませんでした。無理、やりたくない、テーマが大きすぎる、自分は広島について何も知らない。小さいころから平和教育を受けてきて、「そんなことは分かっている」というようなところがあり、「平和」という言葉にアレルギーを感じていました。こんな気持ちのある自分が、どのように広島を扱えばいいのか分からなかったし、広島という作品は撮りつくされて、私が撮る作品はないと思っていました。

大学時代について―
私は間違えて大学の写真学科に入学しました。最初の2年はカメラに触ることすら億劫でした。しかし、ある時、先生から1枚の写真を褒められたことがきっかけで、アパートの片隅に暗室を作って、のめり込んでいきました。

『さよならを教えて』(2004年発売)について―
ヨーロッパを1年放浪した時の写真です。日本を逃げたくて、ふらふらしながら写真を撮っていました。写真を撮ったから何かをしたいという気持ちはありませんでした。帰国後、写真を現像して見返してみると、自分が忘れていたことがよみがえり、時間を取り戻すことができる感覚になりました。

今回の展示になっている2『川はゆく』(2017年発売)について―
広島に住んでいましたが、広島が「川」の町ということは知りませんでした。撮った写真に川が多く写っていて「あっ!」と気づきました。
広島のことを分かって撮っている訳ではありません。むしろ分からないまま撮って、その撮った写真によって、見て学習をしています。
広島という大きなテーマをやることになったとき、これまで自分が持っている広島のイメージを追いかけているところがありました。情緒的な写真を通して広島を作っていくのは嫌だった。情緒的ではなく分からないまま撮って見つけていく、お祭りでも何でも撮っておき、その中から見つけることにしました。

原爆ドームをバックに学生が飛んでいる写真は、不謹慎だろうと言われました。この写真は、やらせではなく、ちょうど修学旅行生がやっていたところを見つけて急いで撮りにいき、3枚撮れた中の1枚です。広島の象徴である川があり、原爆ドームがあり、学生はどこでもやっていることです。写真は一人歩きします。そして議論になり、写真の意味を考えます。今の広島が写し出されていると思って出しています。